「ドン・キホーテの画家」として知られ、ドン・キホーテをはじめ、動きのある馬と人を描いた画家、安田謙。後年は一転して、モチーフを<動>から<静>に変え、更紗模様を背景にしたリアルな静物画に取り組み、独自の画風を確立した。

 また、スクラッチと名付けた技法を考案し、動きのある線と、蝋と水彩のもたらす偶然性によって、即興的な面白さや芸術のもつ一回性の緊張感を伝えた。

 

  師、須田国太郎の影響で、スペインの風土やスペインの写実画に魅せられる一方、京都の図案家の家に生まれて、画材や技法に通じていたことから、1960年代にはデザイン・スタジオを開設。京都の伝統的な図案界に新風をもたらし、後進を育てた。1970年にデザイン・スタジオを閉鎖すると、創作活動を洋画に絞る一方、京都市立芸術大学の教員として洋画や美術史を担当し、市民教室の講師も務めた。

 

 このサイトは、京都に生まれ、京都で活動し、京都で生を終えた画家、安田謙の人と作品を紹介するホームページです。

作品概要

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ドン・キホーテ

安田謙,ドン・キホーテの肖像,1960年
ドン・キホーテの肖像 1960年

やせ馬にしては力溢れるロシナンテ。大きいな手が特徴のドン・キホーテ。初期の作品は「フォービズム」的な表現で、力強い馬とドン・キホーテが描かれている。豪華な布を貼り付けた「マチエールの時代」を経て、「物語」を描く作風へと移行。絵画の虚構性を追求した。1970年代に入り、スペインを訪れる中、画風は「写実的」に変わり、さらには、モチーフを視点の異なる空間に置く「シュールレアリスム的」な表現へと変化する。その後、画面から馬が消え、キホーテも彫刻となって、静物画へと吸収されていく。


働く人々・馬と人

安田謙,魚市場,1982年
魚市場 1982年

戦後初期には、力強く働く市井の人々、たとえば、魚市場や陶磁器工房で働く人々を描く。「魚市場」で、第20回独立展の独立賞を受賞。さらに、馬とともに働く人々に出会う。「当時二条駅付近には石炭用の荷馬車がひしめき合っていたし、近くの三条通りには蹄鉄専用の鍛冶屋もあって、スケッチにはことかかなかった」(安田謙)。この出会いが馬、馬と人という終生のモチーフを与え、ドン・キホーテシリーズを生み出す素地となる。


静物画

安田謙,異国風静物,1980年
異国風静物 1980年

京都市立芸術大学を退職後、入退院を繰り返す中、身の回りの対象を凝視し、それらを精緻に描くようになる。更紗模様の布を背景に、陶磁器や果実を配した構図で、空間内の緊張を表現するなど、東洋と西洋が入り混じった独自の静物画が誕生する。

 「物と物とが、お互いに力関係が生じ、引き合うのである。緊張といってもよい。互の間の緊張は、空間を生じ、空気ともなる。私の場合この空気が描けた絵は成功であり、空気が描けていないのは単なる写生画に終わる」(安田謙)。

 布の描写には図案家として活躍した経験が活きている。


風景画

安田謙,花脊の雪,1992年
花脊の雪 1992年

晩年には、底冷えのする冬の洛北の山里を訪れ、厳しくも優しい風景を写生した。一方、壮年期に訪れたヨーロッパや北アフリカで出会った人々や光景は、風景画としてだけでなく、ドン・キホーテシリーズの中にも再現されている。


スクラッチ画

安田謙,群馬と女たち,1988年
群馬と女たち 1988年

スクラッチ画とは「ひっかいた絵」という意味である。蝋引きしたケント紙の上に水溶性の絵の具を重ね、乾かした後に、鉄筆などで線を削り出して、熱で画面を定着したもので、画家が考案した画法である。主に、馬と人、ときに裸婦が描かれている。

 動きのある線と、蝋と水と熱の出会いがもたらす偶然の質感は、軽妙洒脱な即興性と、芸術の一回性の緊張感を与え、油彩とは異なる画家の一面が示されている。