戦争が終わり、復員して制作を再開した彼が1950年代にしばしば取り上げたのが働く人々である。汗して働く人々への共感は終生、彼の根底にあった。
1952年の第20回独立展に出展した「魚市場」で独立賞を受賞。戦争による制作の中断を経て、このとき画家は41歳になっていた。評論家の関時之介氏によると(1980年,「安田謙画集」, 光琳社)、それは師須田國太郎が初めての個展を開いた年齢と同じだったという。
同じく1952年の「陶工」には手前に陶器を並べ、背景に人々を描いている。この構図は1974年に描かれたドン・キホーテシリーズ「居酒屋への入城」に通じる点がある。
1950年代後半に、画家は京都の街中で、馬とともに働く人々と出会う。
「当時二条駅付近には石炭用の荷馬車がひしめき合っていたし、近くの三条通りには蹄鉄専用の鍛冶屋もあって、スケッチにはことかかなかった。」(安田謙)
この出会いが、馬、馬と人、ドン・キホーテといったその後のメインモチーフへの素地となる。
躍動的な馬の姿は、油彩やスクラッチで繰り返し描かれた他、文字通り「馬賛歌」という連作でも取り上げられているが、哲学者の梅原猛氏は、ドン・キホーテの連作についても、「安田氏は、馬をかかんがために、ドン・キホーテをかいているのではないか」と述べている(「安田謙画集」、光琳社)。